TOM PETTY

BENMONT TENCH

MIKE CAMPBELL

HOWIE EPSTEIN

STAN LYNCH

CAPRICE

TOM PETTY AND THE HEARTBREAKERSってなにもの?

移り気な私のはずかしい洋楽遍歴をお話する前に、
現在の停車駅であるTOM PETTY AND THE HEARTBREAKERSについて、
お話させていただきます。

ハートブレイカーズのリーダーであるトム・ペティは、見学に行った映画の撮影現場で、エルビス・プレスリーを一目見て夢中になった。そして、ビートルズの影響で多くの若者がバンドを始めたように、10代半ばでカバーバンドとして酒場で演奏していた。

当時、彼等の出身地米国南部のフロリダ州のゲインズビルは、そこに住む若者達にとって、世界で一番ダサいところだったらしい。しかし、ラジオのトップ10には、その南部にある音楽のルーツをたたえる曲が出てきて、若者達も徐々に考えを変えていった。若者の意識は変わっていったが、変わることのなかった南部の閉鎖的な空気が息苦しく、多くのものが南部を後にした。

70年代に入ってトム・ペティも“オラ西さ行くダ”とカリフォルニアへ移住し、スタジオミュージシャンなどをしながら、デビューのチャンスを待っていた。その後の活躍は、ここに書くまでもない。アメリカ国内でも、ウエストコーストのグループだと多くの人が思っていて、事実10年くらい前に行っロスのタワーレコードでは、地元のグループとして、広いハートブレイカーズのコーナーがディスプレーされていた。(最近行っていないので現在はわからないが)

東のブルース・スプリングスティンに対して、西のトム・ペティとよく比較されることが多いのだが(さりがなくトム・ペティのアメリカでの位置を自慢をしている。同じようなレコード会社との法律問題に、お互いに励ましあったりしたこともあったそうだ)ブルース・スプリングスティンは、自分の出身地周辺の歌からもっと大きな範囲のアメリカを題材にして作ったあの“ボーン・イン・ザ・USA(1985)”で、日本でも超メジャーの仲間入り。同じ年に、初めて自分の出身地である南部を題材にトム・ペティが“サザン・アクセンツ”を発表したのは、またまた対照的だった。

レーガンの“強いアメリカ”のかけ声に利用されてしまった“ボーン・イン・ザ・USA”がパチンコ屋で流れる軍艦マーチのように思えてしまうのは、私だけでしょうか?反対に、自分のルーツに目を向けた一見排他的な“サザン・アクセンツ”がのびのびとした心地よい作品に聴こえるのは、皮肉です。

私がハートブレイカーズを聴くきっかけとなった、トム・ペティの独特な声がどうも日本では受け入れられにくいようですが、曲は本当にいいです。是非一度聴いてみてください。最近ロン毛俳優江口ヨウスケ(字がわからない)君もオススメの一枚で、紹介してました。(逆効果だったかな?)

詳しい情報が知りたい人は、日本で初めてのTOM PETTY AND THE HEARTBREAKERSのwebサイト
Here Comes A Heartbreaker!へgo!